昔 話よ み話の中味・由来について出 典
あぶら雨あぶらあめ沖縄県波照間島(はてるまじま)に伝わる、大昔降ったという熱い雨。
新聞のコラムが、大昔、乱れたこの世に怒った神は熱いあぶら雨を降らせ、二人の兄妹だけを残して地上に生きるすべてのものを死に絶えさせた、という島の古老の話を紹介し、あぶら雨とは「火山の噴火だ」「いや嵐をたとえたのだ」と諸説があると述べていた。
雨のことば辞典
雨蛙不孝あまがえるふこう蛙は水辺に棲み、雨の降る前には必ず啼く、という習性を持つ。
山形県最上町(小国郷)の例をあげると、昔とてつもなく臍まがりの童があって、お父が山へ柴刈りに行けと言えば川へ雑魚とりに行くし、川へ行けと言えば山へ行くという具合で、何でも反対ばかりしていた。そのうち父は年をとって、こんなあまのじゃくな童を残して死にたくないと泣きながら、死んだら山へ埋めてもらいたいが、わざと反対のことをする童だからと、「川へ埋めてくれ」と言って死んだ。
それまで父の言うことをてんで耳に入れなかった童も、父の死にあってはじめて自分の臍まがりを後悔して、今度は言うことを聞いてやろう、父の思わくも知らず言いつけ通り川の縁に墓を作った。
すると雨の降る夜に川の水が増して墓が流れそうになるので気が気でなく、「父っァ墓コ流れる」と叫んで歩くという。
その童は死んで蛙に生まれ変わったが、思いやりのない者だと閻魔様が臍をむしり取ったのだという。
日本昔話辞典
雨乞い小町あまごいこまち日照りのときに小野小町が和歌を詠んで雨を降らせたという雨乞い小町の伝説が生まれ、その言い伝えが浄瑠璃や歌舞伎に作品化された。
小町の詠んだのは「千早振る神も見まさば立ちさわぎ雨のと川の樋口あけたべ」。
雨のことば辞典
飴は毒あめはどく和尚と小僧譚。全国的に伝承度が高く、「飴は本尊様」とともによく知られる。
吝嗇な和尚が、飴を大人には薬だが子供には毒だという。小僧は和尚の留守に瓶の中の飴をなめてしまい、和尚の私蔵する硯を打ち割っておく。和尚が帰ると、小僧が泣きながら「和尚さんの大切な硯を洗っていて割ったので、死んでお詫びをしようと瓶の中の毒を全部なめたがまだ死ねません」という。
資料により飴が梨、金平糖、蜜、甘酒、牡丹餅、酒のこともある。また小僧が故意に割る物には茶碗、湯飲み、急須、鉢、襖などもある。
この話は、13世紀の「沙石集」では小児が慳貧な房主の粘(あめ)をたべて水瓶を、近世寛文年間(1661〜73)「一休諸国物語」でも粘をなめて壺を、「一休関東咄」では蜜をなめて茶碗を割る。
狂言の「附子(ぶす)」では大名が黒砂糖を大毒の附子[とりかぶとの根を干した生薬]という。太郎冠者は次郎冠者を誘ってこれをなめ、大名秘蔵の大天目(茶碗)を割る。この狂言は天正本では坊主と2人の者という設定になっている。
朝鮮にも同じ話があり、毒には串柿、小僧が割る物は硯である。また李俔(1436)の「慵齋叢話」にも同型の話がある。
日本昔話事典
天稚彦物語あめわかひこものがたり室町期物語。別名「七夕」ともいう。天上の異郷遍歴譚、難題説話、七夕の由来話、異類婚姻譚である。
昔、長者の家の前で女が洗い物をしていると、大蛇が現われ長者の娘をしれなければとり殺すと脅迫する。末娘が泣きながら承知する。池のほとりの家のむ中で17間の大蛇のいう通り、つめきり刀で大蛇の頭を切ると、直衣姿の美男子になった。2人は楽しく語らいあったが、この男は海竜王(天稚彦)で昇天する。その時、1夜ひさごを持って「天稚彦のおはするところはいづくぞ」と尋ねてこいという。夫の不在中、幸福を羨んだ姉たちによって夫からの禁句が破られ、2人は会えなくなる。女は天稚彦の跡を追って昇天する。ゆうづつ、箒星、すばる星などを尋ねて天上界を遍歴し、瑠璃の地の玉の屋で天稚彦と再会する。彼の父は鬼であり、「人の香がする」という。天稚彦は女を脇息、扇、枕などの姿に変えていったが、ついに招待が露見し、鬼の父は女にさまざまな難題を出す。野に数千の牛を飼育させ、倉米千石を運搬させられる。ムカデの倉や蛇の城に閉じ籠められる。たび重なる難も天稚彦の助力で逃れることができた。父の鬼が「月に1度会え」といったのを聞き間違えたため、2人は天の川で年に1回会うことになった。
原本の絵巻の奥書は後花園天皇辰筆という。この物語は、異類の男生と人間の女との結婚が語られているが、その発端は大蛇と末娘の犠牲という型である。天稚彦という名は神話中の人物名天若日子と同一である。「古事記」大国主神の根の堅州国の神話と交渉があると考えられる。神話では須勢理比売(すせりびめ)の父親須佐之男命(すさのおのみこと)から難題を課せられるが姫の助力を得て解決する。この物語の後半の天上界訪問と難題解決の部分は、男女の違いはあるが、内容は天人女房の昔話と一致する。なお、「天稚彦物語」と構想を異にした「あめわかみこ」があるが、これは公家の物語となっている。
日本昔話事典
雨若みこあめわかみこ室町時代物語。
むかし、三条のたかくらに右大臣がいたが、御子は、男子三人女子二人を儲けていた。妹姫は容顔美麗で帝は后にと望んでいた。妹姫が十五歳になった八月十五夜の日、夢を見ているような気持ちになり、二十歳くらいの美男が現れて契りを結んだ。そののちも、男はどこからともなく出現し、夢うつつとも定かではないような生活を送っているうちに娘は妊娠した。帝から姫に歌が届けられると、母上は返歌をしきりに勧めた。姫はしかたなく返歌を帝に奉ると、夜更けて夢人の男が現れ、帝に御返事をしたことであなたは汚れてしまった。形見の子供は五歳になったら必ず迎えに来る。自分は天の神、あめわかみこだと言い残して姿を見せなくなった。姫は嘆き悲しんで毎日を送っていた。帝から后だちの宣旨が下されたが、父大臣は姫の妊娠を知り、家から追い出した。父大臣は、姉姫を代わりに仕立てて入内させた。帝は容姿の劣る姉姫をみて失望した。歌を詠んで遣わし、返歌をみて妹姫でないことを確認し、それから近付こうとはしなかった。姉姫は実家に帰り、悲しみのうちに亡くなった。妹姫も姉姫に先立たれ、あめわかみこにも見捨てられてしまった落胆から危篤に陥った。母上が見舞うと元気になり、曇りなき鏡のような若君を生んだ。大臣殿も喜び、姫を家に迎え入れた。若君が五歳になった七月七日に、空に紫の雲がたなびき下ってきて、あめわかみこは若君を玉の輿に乗せて、天に昇っていった。人々は泣き悲しんでいたが、あめわかみこから与えられた瑠璃の壺の薬を口に入れると、嘆きも消えてしまった。帝はこのことを聞いてふたたび后だちの宣旨が下したが、大臣殿は姉姫が冷たく扱われたこともあり、御返事を申し上げなかった。帝は御位を春宮に譲られ、北山の麓に御堂を建て出家した。姫は新帝の立后の宣旨をお受けして、一門は繁昌した。
この梗概は、寛永写本の赤木文庫蔵本によった。
日本伝奇伝説大事典
アモレ女あもれおなぐ奄美本島での天から下ってくる女の呼称。アモロオナグ、アマオナグともいう。オナグとは女の意味であり、単にアモレという場合もある。
雨もよいの日などに山奥の泉などに美人で髪の長い乙女が出現する。この乙女に会った男は急死するなどと伝承されている。何回も同じ泉に姿を現わすといわれ、今なおその場所や泉、岩などが残っている。アモレオナグは天人女房と関係が深く、ハゴロモマンジョと呼ぶ所もある。
日本昔話事典
天人女房てんにんにょうぼう天女が羽衣を奪われたため、男の妻となる異類婚姻譚。羽衣説話として全国で数多く伝承されており、現在役130話が報告されている。
大別すると、離別型・天上訪問型・七夕結合型に分けられる。
離別型は、天女が数人、沼(池・川・海岸)で水浴びしている。男が垣間見て、1人の羽衣を隠して妻にする。子供が2人(3人)生まれ、羽衣の隠し場所を教える。天女は稲束の下(天上・大黒柱・櫃)から羽衣を見つけ、子供とともに(1人で)飛び去る。この型は東北から沖縄まで分布し、約30話が報告されている。神女との婚姻は破局に終わるのが原則であり、異類婚姻型の中でも原型を残す神婚説話として伝説化され、各地に流布されている。神女の象徴である羽衣を失い、地上の男と結婚するが、ふたたびそれを手にした時は、元の神聖な身となり、天へ帰らなければならない。
天上訪問型は、男がこの天女を追って再会を求める型で、天女が昇天する時に夕顔(朝顔・豆・キュウリ)の種を残す。男は(子供とともに)馬、牛の沓1000足、ノミ、シラミなどの肥料をもって蔓を伸ばし、天上へ行く。天女の親が畑仕事の難題を出すが、天女(鳥)の援助で解決する。禁じられていた瓜を割って大洪水となり、天女と男は決別する。この型も全国に分布し、約60話が採集されている。
そして、流される途中に、7日7日に会おうと言ったのを、7月7日と聞き違える七夕結合型は約35話ある。
日本昔話事典